黒坂観音堂(くろさかかんのんどう)五輪塔

 黒坂観音堂(くろさかかんのんどう)(宮崎県宮崎市清武町木原6329-1)

  明治の廃仏毀釈で廃寺になった勢田寺(真言宗)の遺品で、鎌倉時代中期 弘安八年(1285)の紀年銘がある。

黒坂観音堂 五輪塔 (県指定文化財、鎌倉時代中期 弘安八年 1285年、凝灰岩、火輪までの高さ 128.5Cm)

 
  明治の初めに現在地に移されたという。水輪と地輪が県文に指定され、空・風輪は、宝塔もしくは層塔の相輪を流用している。 

火 輪

水輪と地輪に比べ小振りで後補と思われる。

水 輪 (西面)

正面(南面)から向かって左面(西面)と右側(南東面)に同じ造立者の刻銘がある。

西面の刻銘:「弘安八年(1285)、大蔵、乙酉、四月廿六日」、「造立者 法眼連學」

刻銘:弘安八年、大蔵、乙酉、四月廿六日、造立者 法眼連學」 刻銘:「造立者 法眼連學」

西面の刻銘

水 輪 (南東面)

刻銘(南東面):「弘安八年(1285)、歳次、乙酉、六月十五日」、「造立者 僧連學」

刻銘:「弘安八年、歳次、乙酉、六月十五日、造立者 僧連學」 後補の相輪(空・風輪の代わり)

南東面の刻銘

造立者の名前と制作年は同じで、月日が異なっている。

五輪塔 地輪

低く、どっしりとしている。

黒坂観音堂(くろさかかんのんどう)

本尊 十一面観音像(鎌倉時代)は、五輪塔と同じく勢田寺から移されたという。

入口の仁王像二体は江戸時代中期に活躍した仏師 平賀快然の作で市文に指定されている。

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 黒坂観音堂 石造仁王像(宮崎県宮崎市清武町木原6329-1)

  仁王像も、明治の廃仏毀釈で廃寺になった勢田寺(真言宗)の遺品で、仏師(平賀快然)の名が刻まれているところから江戸時代中期(宝暦年間)の作とされている。

 
仁王像 吽形 仁王像 阿形

黒坂観音堂(くろさかかんのんどう)仁王像(市指定文化財、江戸時代中期)

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*JR日豊本線 宮崎駅前から、宮崎交通バス 「大学病院・宮崎大学」行きに乗車、「黒崎観音バス停」下車、すぐ。

(撮影:平成26年5月28日)