禅昌寺(ぜんしょうじ)地蔵種子石塔婆

 禅昌寺(ぜんしょうじ)(宮城県石巻市山下町1-4-8)

   五七日忌に造立された石塔婆で、その本尊地蔵種子に二重輪郭を巻くなど珍しい。 南北朝時代前期 延元二年(1337)の紀年銘がある。

禅昌寺(ぜんしょうじ)地蔵種子石塔婆(南北朝時代前期 延元二年 1337年、粘板岩、高さ 192Cm 幅 65Cm 厚さ 5Cm)

石塔婆は、上方に地蔵種子「カ」、その下に浄土教古徳之偈、下方に「五七日忌」の造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部、天蓋(てんがい)

天蓋は、五本の瓔珞(ようらく)を垂らす。

身部上方、地蔵菩薩の種子「カ」 身部下方、上段に偈、下段に願文と紀年銘を刻む。

五七日(三十五日)の本尊 地蔵種子「カ」は月輪内に刻まれ、上方に瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋、下方に蓮座、さらに全体を二重線の輪郭で荘厳する。

浄土教古徳之偈

偈(げ)は、四句目の上四字「皆是阿弥」が欠けている。

偈(げ):「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)

[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ]

身部下方、紀年銘と願文

中央に「延元二年(1337)十一月十七日」、左右に「右志者為聖霊五七日、忌景法界平等利益也」と刻む。

五七日忌忌日供養碑で、その本尊地蔵種子「カ」を刻んでいる。また、碑は南朝年号 「延元二年(1337)十一月十七日」銘がある。

刻銘:「延元二年(1337)十一月」 石塔婆、側背面

若宮丸 遭難供養碑

石巻の千石船「若宮丸」は、寛政五年(1793) 嵐に遭いアリューシャン列島に漂着した。乗組員の内、四人は文化四年(1804)にロシア使節団

の船に乗り、大西洋、太平洋を経て帰国した。碑は、「若宮丸」の乗組員が生死不明の為、持主が七回忌供養碑として建立したとみられている。

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禅昌寺(ぜんしょうじ)(臨済宗 妙心寺派)

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、西方向へ徒歩 約12分。

(撮影:平成26年4月12日)