山城国分寺(やましろこくぶんじ)塔跡礎石群(京都府木津川市加茂町例幣)
山城国分寺は、天平十三年(741)頃に創建された。礎石が十五個残る当所は、国分寺東塔跡と伝える。七重塔であった。
山城国分寺 塔跡礎石群 (国史跡、奈良時代後期、花崗岩、心礎径 160Cm)
狭間石(はざまいし)、柱がのる部分の中心に枘(ほぞ)を造り出し、柱に接続する地覆の載る部分を刻み出す。外側礎石の四隅に置かれている。 |
心礎(しんそ)(奈良時代後期、花崗岩、直径 160Cm)
七重塔の心柱を建てる礎石で、柱の載る円形部の中心に突起(石枘)をつくり、柱が移動しないよう工夫されている
四隅を結ぶ中間の礎石、 柱がのる部分の中心に枘(ほぞ)を造り出し、柱に接続する地覆の載る部分を刻み出す。 |
山城国分寺(やましろこくぶんじ) 塔跡 礎石群
一つ一つが、しっかりとした形で、刻み出された曲線が美しい。当初、十七個あり一個が転倒し、一個が失われたという
例幣(れいへい)使料の境界碑
例幣使料 境界碑(江戸時代前期 承応二年 1653年、高さ 110Cm 一辺 65Cm)
表面刻銘:「例幣使料堺目傍爾石也」、裏面刻銘:「承応二(1653)癸巳正月十一日」
瓶原(みかのはら)の地は、徳川時代の初め、藤堂大学頭が領していたが、承応二年(1653)以後から徳川末期まで例幣使料と
禁裏御料の両地に分けられ、その境界を表す碑として建てられた四角錐の石柱。山城国分寺 塔跡の東側、道路沿いに立っている。
朱雀(すじゃか)の井戸
恭仁京の朱雀(南)にあたる場所にある六角形の井戸。桃山時代の頃、この地の土豪集団の一つである朱雀氏の屋敷跡ともいわれている。
*JR関西本線 加茂駅西口より木津市コミュニティバス 奥畑線乗車、「恭仁宮跡バス停」下車、徒歩。
(撮影:平成22年10月13日)