腕塚(かいなづか)宝篋印塔(京都府南丹市船枝才ノ上)
腕塚は、前九年の役で源頼義・義家親子に敗れた阿部貞任(あべのさだとう)の腕を祀ったとの伝承がある
腕塚(かいなづか)宝篋印塔(南北朝時代前期、花崗岩、高さ 266Cm)
塔身正面、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(ウーン:阿閦) | ||
舩井神社の入口西側に腕守社があり、その後ろに祀られている | 塔身南面、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(タラーク:宝生) |
宝篋印塔 笠
笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は三弧輪郭付で内は無地、やや外傾する
西面、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(キリーク:阿弥陀) | ||
塔身北面、蓮華座上月輪内に金剛界四仏の種子を刻む(アク:不空成就) | もと隣の小学校敷地にあった安城寺にあり、明治五年に現在地に移された |
基 礎
基礎上端は複弁の反花、側面は輪郭を巻き内に形の良い格狭間をつくる
相輪は完存する。下から伏鉢・請花・九輪・請花・宝珠。また、宝篋印塔は、丹波地方を代表する南北朝時代前期の作品 |
腕守社 (かいなもりしゃ)
地元では、腕の痛みに効能があるとされている。拝所の後ろに宝篋印塔が祀られている
舩井神社(ふないじんじゃ)
舩井神社の入口西側に腕守社(かいなもりしゃ)があり、その拝所の後ろに宝篋印塔が祀られている
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*JR山陰本線 「吉富駅」下車 北東方向へ 徒歩 約38分。
(撮影:平成21年12月8日)