観興寺(かんこうじ)宝篋印塔

 観興寺(かんこうじ)(京都府福知山市樽水586)

  丹波市の白毫寺宝篋印塔と同形式で、同じ石工 藤原行弘の作といわれている。南北朝時代中期 応安二年(1369)の紀年銘がある。

観興寺(かんこうじ)宝篋印塔 (市指定文化財、南北朝時代中期 応安二年 1369年、玄武岩、高さ 125Cm)

塔身、胎蔵界四仏の種子を月輪内蓮座上に刻む(北面、アク:天鼓雷音)
宝篋印塔は書院南庭、植込みの中に立っている。 塔身、胎蔵界四仏の種子を月輪内蓮座上に刻む(東面、ア:宝幢如来)

段型は、上六段で下段は単弁請花、隅飾りは二弧輪郭付で内は無地、やや外傾する。

塔身、胎蔵界四仏の種子を月輪内蓮座上に刻む(南面、アー:開敷華王)
塔身、胎蔵界四仏の種子を月輪内蓮座上に刻む(西面、アン:無量寿) 塔身を挟んだ上下が蓮弁式で、この地域では珍しい。

基礎 南面

上端は複弁反花。側面は、四面とも輪郭を巻かずに格狭間をつくる。格狭間内は無地。

相輪は、下から伏鉢、複弁請花、九輪、単弁請花、宝珠で完存する。また、丹波市の白毫寺宝篋印塔は、同形式で同作者といわれている。

基礎 西面

両端に「応安二年(1369)・・・・」、「大願主口口行口」の刻銘がある。

刻銘は、摩耗が激しく、痕跡はみてとれる。また、格狭間内にも「観興寺」の刻銘があり、後刻とされている。

観興寺(かんこうじ)(臨済宗 南禅寺派)

観興寺の創建年は不詳、往古は真言宗の道場であったが、江戸時代前期 承応二年(1653)に改宗、臨済宗となった。

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観興寺 (かんこうじ)

山里の入口には六地蔵石仏が置かれ、自然石の標識には「普明山 観興禅寺」の文字が深く刻まれている。

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*JR山陰本線・福知山線福知山駅前から福知山コミュニティバス 小牧線に乗車、「上畑中バス停」下車、南方向へ約1.3Km。

(撮影:平成25年9月10日)