高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

1~12町石(伽藍大塔~奥院)

  奥院側(大塔から奥の院大師廟まで36町に36基の町石が立つ。町石は金剛界三十七尊を表し、すべて国史跡)

一町石(国史跡、大正二年 1913年、花崗岩、本尊種子:金剛薩埵)

背面刻銘:「大正二年立秋再建 御影 大江」、一町石うしろの建物は、檀上伽藍にある愛染堂

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

町石(江戸中期 安永二年 1773年、本尊種子:阿閦如来) 町石(江戸中期 安永二年 1773年、種子:法波羅密菩薩)
正面:「太上天皇」(安永再建の太上天皇は、後桜町天皇を指す) 正面:「太上天皇」(太上天皇は、後桜町天王を指す)
右面:「安永二年四月廿一日従、仙洞御所再建」 右面:「安永二年四月廿一日従、仙洞御所再建」

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。1~12町石は、江戸・大正時代に再建したもの。

四町石(国史跡、大正二年 1913年、花崗岩、本尊種子:羯磨波羅密菩薩)

正面:「太上天皇」(再建前の町石に刻まれていた刻銘)、背面:「大正二年立秋再建 福田 海」

4町石は、福島正則 寄進と伝える「六時の鐘」の横に立っており、鐘は毎日 偶数時に時刻を報じる

五町石(江戸中期 明和八年 1771年、種子:金剛波羅密菩薩) 六町石(大正二年 1913年、種子:宝波羅密菩薩)
正面:「再興施主津田正躬」、右面:「明和八辛卯歳五月」 背面:「大正二年立秋再建 東京 馬越」

町石は花崗岩製で、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

七町石(国史跡、江戸時代中期 安永三年 1774年、花崗岩、本尊種子:阿弥陀如来)

正面刻銘:「再建施主、平氏岩城宗明、法名宗壽居士」、左面:「安永三年四月」

八町石(大正二年 1913年、種子:不空成就如来) 九町石(大正二年 1913年、種子:宝生如来)
背面:「大正二年立秋再建 宇治 入江」 背面:「大正二年立秋再建 岡山 藤屋」

十町石(国史跡、大正二年 1913年、花崗岩、本尊種子:金剛王菩薩)

背面刻銘:「大正二年立秋再建 岡山 吉原」

十一町石(大正二年 1913年、本尊種子:金剛愛菩薩) 十二町石(江戸中期 明和八年 1771年、本尊種子:金剛喜菩薩)
背面:「大正二年立秋再建 吹田 高濱」 正面願主:「再興施主壽光院仙譽妙照大姉」
1~16町石は、高野山の町内に建てられている 右面:「明和八辛卯年春三月藤原氏女」

北室院前の道路脇に立つ十二町石奥に見えるのは成福院の八角三重塔(昭和59年建立)

 高野山町石五輪卒塔婆、13~24町石(奥院側)     町石目次   石仏と石塔-目次!

高 野 山 檀 上 伽 藍

大塔の手前、愛染堂の西横に一町石が立ち、奥院の三十六町石へと続く

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

五輪塔紀年順   高野山 1・2・6町石五輪卒塔婆(慈尊院側)(江戸時代中期)  五輪塔-紀年順-目次

*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス乗車。

(撮影:平成20年5月6日、平成21年4月23日、平成21年6月2日)