高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

1〜10町石(伽藍大塔〜慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

一町石(国史跡、江戸時代中期 安永二年 1773年、花崗岩、本尊種子:大日如来)

左側面:「安永二年五月」、右側面刻銘:「女院大后寄賜白金若干、乃為修造資以再建奮碑」

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

町石(江戸中期 安永二年 1773年、本尊種子:開敷華王如来) 町石(江戸中期 安永七年 1778年、本尊種子:文殊師利菩薩)
右側面:「新女院御所賜白金若干、是為修福料再建此一基」 正面:「再興施主 因州 桂香院」
左側面:「安永二年五月」 右側面:「安永七年十月」

高野山町石は弘法大師空海が登山者の道しるべとして、弘仁七年(816)に木製の卒塔婆を建立したと伝えられ、鎌倉時代中期の文永二年(1265)に

覚きょう上人が発願して石造卒塔婆に立て替えられた。20年後の弘安8年(1285)に落慶法要が行われている。桃山・江戸・大正時代に改補修したものもある

四町石(国史跡、江戸時代中期 安永六年 1777年、花崗岩、本尊種子:宝幢如来)

右側面刻銘:「安永六年(1777)六月」

四町石 正面願文:「為法界衆生脱苦得楽」 四町石 左側面:「再興施主、後藤久邦、荊婦喜代」

町石は花崗岩製で、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

五町石(国史跡、大正二年 1913年、花崗岩、本尊種子:普賢菩薩)

右側面刻銘:「相模守平朝臣政村」、背面:「大正二年立秋再建 大阪 伊藤」

六町石(江戸中期 安永二年 1773年、本尊種子:天鼓雷音如来) 七町石(鎌倉中期 頭部昭和35年後補、種子:観自在菩薩)
右側面:「總法務一品親王御再建」 正面:「法橋長禅、沙弥理圓」
左側面:「安永二年五月」 右側面:「栄光長栄、定聖性仁」  左側面:「光念明忍、理智阿念」

八町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永五年 1268年、頭部 大正2年後補、花崗岩、本尊種子:弥勒菩薩)

正面願主:「比丘尼了空」   右側面刻銘:「文永五年(1268)閏正月 日」

八町石は、九町石から大門前の国道480号線に出て、少し右側へ行った案内所の向い側に建っている

九町石(鎌倉時代中期、本尊種子:無量寿如来) 十町石(鎌倉時代中期、本尊種子:仏眼仏母)
正面願主:「沙弥真願」 左側面:「為父母并比丘尼唯仏」 正面願主:「相模守平朝臣時宗」

 高野山町石五輪卒塔婆、11〜20町石(慈尊院側)     町石目次   石仏と石塔-目次!

高野山大門(重要文化財、江戸時代 宝永二年 1705年再建、重層五間入母屋造、銅瓦葺)

九度山町 慈尊院からの道は「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」と呼ばれ高野山への表参道であった

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

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*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス乗車。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く。

(撮影:平成20年5月6日、平成21年3月26日、平成21年4月23日、平成21年6月2日))