高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

41~50町石(伽藍大塔~慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

四十一町石(鎌倉時代中期、本尊の種子:忿怒月黶菩薩) 四十二 町石(鎌倉中期、本尊の種子:金剛手持金剛菩薩)
正面:「左近将監平朝臣宗政」 正面願主:「左近将監平朝臣宗政」
背面:「二十一町沙弥西雄」、地輪長 170Cm 幅 32Cm) 背面:「二十四町金剛仏子聖翁」頭部大正2年(1913)後補

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる

四十三町石(鎌倉中期 文永五年 1268年、種子:金剛鈎女菩薩)、左面:「前上野介藤原広綱」、右面:「文永五年閏正月日」

町石は花崗岩製で、鎌倉時代のものは一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

四十四町石(鎌倉中期 文永八年 1271年、種子:金剛鏁菩薩) 四十四町石(大正二年 1913年 再建、種子:金剛鏁菩薩)
正面願主:「茲野氏女、沙弥蓮願」 正面:「沙弥蓮願」、右面:「茲野氏女」
左側面刻銘:「文永八年(1271)十月日」 左面:「文永八年十月」、背面:「大正二年立秋再建 岡山 山脇」

四十四町石は、当初の鎌倉時代のものと大正二年再建の町石が二基立っている

高野山町石道(こうやさんちょういしみち)に立つ四十五町石

四十五町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:虚空無垢持金剛菩薩)

四十五町石(鎌倉中期、花崗岩、地輪長 200Cm 幅30Cm) 四十六町石(鎌倉中期、本尊の種子:懌悦持金剛菩薩)
左面刻銘:「前下野守藤原朝臣景綱」 右側面願主:「左衛門尉藤原頼泰」

四十七町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:忿怒持金剛菩薩)

正面願主:「沙弥勝圓」、地輪長200Cm 正面幅 30Cm

四十八町石(鎌倉中期、本尊の種子:虚空無辺超越菩薩) 四十九町石(鎌倉中期、本尊の種子:金剛薩埵菩薩)
正面願主:「藤原氏女」頭部大正2年(1913)後補 正面願主:「沙弥道洪」、地輪長 205Cm 幅 32Cm

 高野山町石五輪卒塔婆、51~60町石(慈尊院側)      町石目次     石仏と石塔-目次!

五十町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、本尊種子:金剛持菩薩)

正面願主:「比丘尼妙然」   地輪長 220Cm 幅 31.5Cm

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス「大門バス停」下車 徒歩。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成21年3月26日、平成21年4月23日)