高野山町石(ちょういし)五輪卒塔婆

 高野山町石(こうやさんちょういし)(和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町)

 九度山町の慈尊院から伽藍大塔まで180町に180基、大塔から奥の院大師廟までの36町に36基の五輪卒塔婆を立て町石とした

111~120町石(伽藍大塔~慈尊院)

  慈尊院側(九度山慈尊院から大塔まで180町に180基の町石が立つ。町石は胎蔵界百八十尊を表し、すべて国史跡)

百十一 町石(国史跡、鎌倉時代中期 文永九年 1272年、花崗岩、総高 282Cm 幅 32.5Cm,本尊の種子:悲愍慧菩薩)
左面:「文永九秊(1272)五月 日」、右面願主:「遠江権守平朝臣経重」

町石五輪卒塔婆は正面に五輪塔の梵字を刻み、その下に大きく本尊の種子、町目、願主名や願文を刻んでいる。

願主の「経重は、『吾妻鏡』文永三年七月四日条に、河越遠江権守経重とみえる。」(新編 埼玉県史 資料編 9)

地蔵堂と堂内の地蔵立像(111町石と112町石の間にある)

地蔵堂の近くで咲いていた石楠花(しゃくなげ)(撮影:平成21年4月24日)

百十二町石(鎌倉時代中期、本尊種子:除蓋障菩薩) 百十三町石(鎌倉時代中期、本尊種子:慈発生菩薩)
正面願主:「法印祐賢」、総高 254Cm 幅30Cm 正面願主:「法印祐賢」、総高 250Cm 幅30Cm
右側面願文:為先妣聖霊」 右側面願文:「為先考聖霊」

百十四町石(国史跡、鎌倉中期 文永九年 1272年、花崗岩、総高 241Cm 幅 30Cm、本尊種子:悲愍菩薩)

左面:「文永九年(1272)五月十日」、正面願主「法印祐賢」、右面:「為先師権律師隆賢」

百十五町石(鎌倉中期 文永十一年 1274年、種子:折諸熱悩菩薩) 百十六町石(鎌倉中期 文永十一年 1274年、種子:不思議慧菩薩)
左面:「文永十一年七月十四日」、正面願主:「沙弥寂妙」 左面:「文永十一年九月十八日」、正面願主:「比丘尼寶観」
右面願文:「為主君父母法界衆生也」、総高 245Cm 右側面願文:「為中務権少輔藤原重教」、総高 245Cm

町石は花崗岩製で、鎌倉時代のものは一石で彫成され、大きさは 高さ 267Cmで30Cm角(一尺)を標準としている

百十七町石(大正二年 1913年、本尊の種子:虚空蔵菩薩) 百十八町石(大正二年 1913年、本尊の種子:檀波羅密菩薩)
背面:「大正二年立秋再建 伊豫住」、総高 232Cm 背面:「大正二年立秋再建 大阪 小西」、右:「法印権大僧都頼助」

百十九町石(国史跡、鎌倉時代中期、花崗岩、総高 300Cm、本尊種子:戒波羅密菩薩)

左面:「大法師明俊 大法師信盛、大法師頼憲 大法師行善」、正面:「山篭信應 入寺道精、山篭賢誉 入寺覚禅」

百十九町石(鎌倉中期)、右面:「大法師賢能 百二十町石(鎌倉中期 文永七年 1270年、種子:忍辱波羅密菩薩)
三昧行弁、大法師賢弁 三昧弘覚」 左面:「文永七年庚午二月 日、正面:「沙門了心」、右面「為父母」

百二十町石は、二ツ鳥居から丹生都比売神社へ下る T 字路の左手にたっている

 高野山町石五輪卒塔婆、121~130町石(慈尊院側)       町石目次     石仏と石塔-目次!

二ツ鳥居(国史跡、江戸時代前期 慶安二年 1649年、高さ 約5.6m 幅 約4.7m)

紀伊続風土記によれば、弘仁十年(819)五月に、弘法大師が木製の鳥居を建立した

                                            (参考文献:「高野山町石の研究」 愛甲昇寛 著、密教文化研究所 他)

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*南海電鉄 極楽橋よりケーブル「高野山駅」下車、南海バス「大門バス停」下車 徒歩。又は南海電鉄「九度山駅」下車、北西へ 徒歩1.5Kmの慈尊院から町石道を歩く

(撮影:平成21年3月26日、平成21年4月24日)