箱根宝篋印塔残欠<俗称:八百比丘尼(はっぴゃくびくに)の墓>(神奈川県足柄下郡箱根町)
箱根宝篋印塔残欠(史跡、南北朝時代 観応元年 1350年、安山岩)
地覆を据え、関東形式の上端複弁反花で側面二区の反花座、その上に上端二段の段形をつくりだした基礎、その上に笠がのせられている |
基礎
「結縁之衆各尽力造立功成功徳」の銘文と観応元年(1350)の紀年銘がある
八百比丘尼とは、若狭国(福井県)の伝説上の女性で、年をとっても容貌が衰えず八百年生きたとされる
箱根地蔵立像磨崖仏<俗称:応長(おうちょう)地蔵、火焚(ひたき)地蔵>(神奈川県足柄下郡箱根町)
箱根地蔵立像磨崖仏(史跡、鎌倉時代 応長元年 1311年、安山岩、像高 48.7Cm)
地蔵磨崖仏の右手側に応長元年の銘が、その向かって左側に阿弥陀の種子「キリーク」が梵字で刻まれている
右手に錫杖、左手に宝珠を持つ通常の地蔵菩薩 | 向かって右下には、二体の地蔵菩薩(像高15.5Cm)が刻まれている |
ここでは、精進池の対岸の山を「死出の山」といい、先祖の霊はこの山を越え、駒ヶ岳に赴く(おもむく)と信じられてきた
身内に不幸があると、この磨崖仏の前で送り火を焚き、精進池畔で花や線香をあげ、霊を山に送る「浜降り」(はまおり)
という習慣があったため、この磨崖仏は「火焚地蔵」(ひたきじぞう)とも呼ばれている
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*JR小田原駅より伊豆箱根バス・箱根登山バス<箱根町・元箱根行き>乗車。「六道地蔵」下車、すぐ。
(撮影:平成19年5月4日)