来迎寺跡(らいごうじあと)墓塔群(鹿児島県いちき串木野市大里1197)
県指定史跡の市来氏歴代墓群の左端に立つ二基の五重石塔(現状四層)で、紀年銘がないが丹後局塔(文永12年、1275年)に先行するものと考えられている。
来迎寺跡(らいごうじあと)五重石塔 二基 (県指定史跡、推定:鎌倉時代中期、凝灰岩、各 高さ 226m)
二基の五重塔は現状四層で、各重の軸部と屋根が別石方式。高さもほぼ同じで同形。二段の基礎は低く古風。二基ともどっしりとして風格がある。
来迎寺跡(らいごうじあと)五重石塔 前方塔
来迎寺跡(らいごうじあと)五重石塔 前方塔 (県指定史跡、推定:鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 226m)
前方に立つ塔で、頂部に欠けた相輪を載せている。現状四層で、逓減率から見て三層部の屋根石が欠けていると思われる。
四層目 屋根
軒は、緩やかに反っている。軒裏に垂木型、四隅に隅木を刻出する。
二層 屋根
軒口やや薄く、屋根は両端で反り、二段の隅木も細かく表現する。
初層 屋根
両端で美しく反っている。
初層 軸部
下辺より上辺がやや狭く、逓減がついている様に思える。
基 礎
別石の二段で背が低く、古風。
来迎寺跡(らいごうじあと)五重石塔 後方塔
来迎寺跡(らいごうじあと)五重石塔 前方塔 (県指定史跡、推定:鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 226m)
後方に立つ塔で、頂部の相輪は欠失する。現状四層で、逓減率から見て四層部の屋根石が欠けていると思われる。
現状の四層軸部は後補か?、欠損した屋根をカバーする様に他の層と比べ高く、全体を調和させている。
市来氏(いちきし)墓塔群 (県指定史跡、鎌倉時代中期〜室町時代、凝灰岩)
二基の五重石塔と十数基の石造宝塔からなる墓塔群で、形式から鎌倉時代中期から室町時代のものと思われる。
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*JR鹿児島本線 湯之元駅下車、西北西方向に徒歩 約40分。
(撮影:平成26年5月27日)