明泉寺 石塔群(鎌倉屋敷)

 明泉寺(みょうせんじ)石塔群 (鎌倉屋敷)(石川県鳳珠郡穴水町字明千寺 カ103)

  鎌倉屋敷は、明泉寺から南東方向に約300m離れた所にある約70数基の石造物遺物で、明泉寺石塔群として県の指定史跡になっている。

明泉寺(みょうせんじ)石塔群(鎌倉屋敷)(県指定史跡、鎌倉時代後期~室町時代)、五輪塔群と宝篋印塔

鎌倉屋敷の石塔群も、室町時代後期に描かれた明泉寺絵図に載っている。図では、宝篋印塔二基と五輪塔群がそのまま描かれている。

 鎌倉屋敷 宝篋印塔(頼朝の墓)

  鎌倉屋敷の奥まった所に立つ大型宝篋印塔で、頼朝の墓と呼ばれている。鎌倉屋敷石塔群で一番大きく ランドシンボルになっている。

明泉寺(みょうせんじ)鎌倉屋敷 宝篋印塔 (県指定史跡、推定:南北朝~室町時代前期、高さ 約300Cm)

 
  基礎は、側面二区の関東式。塔身は、正面に胎蔵界大日種字を刻み、残り三面は無地。笠の隅飾りは、弓なりに反っている。

笠の段形は上五段、下は別石で三段。隅飾は二弧輪郭付で、弓なりに反り、内に蕨手文(わらびてもん)を浮彫にしている。

隅飾りの傾斜は、一般的に鎌倉時代中期の馬耳状垂直から時代が下がるにつれて左右に開いていくが、曲線状に反っているのは珍しい。

笠の隅飾り。蕨手文を刻んだ宝篋印塔には、大阪府の無二寺宝篋印塔.がある。 相輪、九輪の上に水煙があり層塔式で、後補か。

塔身 正面

月輪内に胎蔵界大日如来の種字「アーク」を刻む。

塔身 側・背面

何も刻まれていない。

基 礎

基礎上端は複弁反花、、側面は四面とも関東形式の二区。

基 壇

 明泉寺鎌倉屋敷 永享三年(1431)銘 五輪塔

 明泉寺石塔群で紀年銘が刻まれている貴重な五輪塔で、下から珠洲焼の壺が出土している。

明泉寺(みょうせんじ)鎌倉屋敷 五輪塔 (県指定史跡、室町時代前期 永享三年 1431年、安山岩 )

各輪、月輪内に五輪塔四門の梵字を刻んでいる。正面:東方 発心門の梵字「キャ・カ・ラ・バ・ア」(上から下)。

地 輪

背はやや高く、月輪内に胎蔵界大日如来の種字「ア」を刻む。

五輪塔

鎌倉屋敷では、初期の五輪塔(推定:鎌倉時代後期)と思われる。

全体に、力強く どっしりとしている

鎌倉屋敷の五輪塔(推定:室町時代) 鎌倉屋敷の五輪塔(推定:室町時代)

 薬王院(やくおういん)五輪塔                                石仏と石塔-目次!

鎌倉屋敷の石塔群(県指定史跡)

 五輪塔-紀年順-目次

* 穴水駅前から宇出津駅前行きバスに乗車、「宇加川バス停」下車 西北方向へ徒歩 約15分。明泉寺の手前 鎌倉屋敷の説明板のある場所を左(南)にまがる。

(撮影:平成28年8月1日)