鷲原寺(わしはらじ)石仏群(2)

 鷲原寺(わしはらじ・しゅうげんじ)奥院・岩屋観音(兵庫県朝来市岩津)

   岩屋の天井に金剛界大日の磨崖仏が刻まれ、岩屋内に十一面千手観音を中心とした、計十五体の石仏が安置されている

 鷲原寺(わしはらじ)奥院 石仏群(2)

  石仏は、櫓(やぐら)建て三階部の一段高い所に拝所を設け、その奥にある 幅 5.5m、奥行 5.15m、高さ 4.85Cmの岩屋内に 計十五体 安置されている

鷲原寺 奥院(岩屋観音)石仏群後列 左側(県指定文化財、鎌倉時代後期〜南北朝時代前期、花崗岩)

後列、向かって左から五体目の石仏は、阿弥陀如来。他の石仏は、以下に説明

後列、向かって左端、 地蔵菩薩 後列、向かって左から二体目、 虚空蔵菩薩

後列、向かって左側の石仏 (五菩薩)

後列、向かって左から三体目、 弥勒菩薩 後列、向かって左から四体目、 文殊菩薩

後列、向かって左側の石仏 (五菩薩)

鷲原寺 奥院(岩屋観音)石仏群後列 右側(県指定文化財、鎌倉時代後期〜南北朝時代前期、花崗岩)

向かって右から二体目は法道仙人像で、法道仙人はインドの霊鷲山から来た人で、鷲原寺を開いたと伝える

また、法道仙人は法華山に住し、一乗寺を始め、播磨に六十、丹波・摂津に六十の寺院を開基したと伝える

後列、向かって右から四体目、 釈迦如来 後列、向かって右から三体目、 普賢菩薩(五菩薩)

後列、向かって右側の石仏

後列、向かって右から二体目、 法道仙人像 後列、向かって右端、 不動明王二童子像

後列、向かって右側の石仏

前述の通り、不動石仏の向かって右側面に「釈迦入滅、至 永仁二二(四)年(1296)丙申、二千二百二二(四)十五年也、大工心阿、沙弥口口」の刻銘がある

仏滅紀年銘は、「光明坊十三重石塔」の基礎側面にも「釈迦如来遺法、二千二百二二(四)十参年、奉造立之、永仁二年(1294)甲午七月日」と刻まれ、

光明坊十三重石塔の造立二年後に不動石仏が刻まれている。光明坊十三重石塔の本体には、心阿の名はなく西側台石に「永仁六年(1298)戊戌、四月

廿九日造立之、願主名善、大工心阿の刻銘がある。いずれにしても、光明坊十三重石塔が大工 心阿の作品に極めて近い位置にあることは、確かだろう。

(尚、現地説明板に書かれている仏滅紀年銘二千二百二十五年は、上記 光明坊十三重石塔の紀年銘から見ても二千二百二二(四)十五年の記入ミスと思われる)

鷲原寺 奥院(岩屋観音)石仏群(県指定文化財、鎌倉時代後期〜南北朝時代前期)

後列右端の不動石仏と後列左端の地蔵石仏が欠けているが、ほぼ全容写真

 森(もり)九重石塔 (虎御前)                             石仏と石塔-目次!

鷲原寺道(わしはらじみち)阿弥陀石仏(県指定文化財、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年)

鷲原寺から奥院(岩屋観音)側に少し歩いた所に小さな覆堂があり、その中に安置されている石仏で、定印の阿弥陀坐像

*JR播但線「新井(にい)駅」下車、徒歩 約90分。毎月18日の午前中に開帳される。この日は、年に一度の春の大祭、櫓建て三階の小広間でお勤めをした後、開帳された。拝所の奥にある岩屋(洞窟)に安置されている。岩屋は、荘厳な雰囲気で、なにより有難い石仏の御開帳とあって、たくさんの人と同様、有難く拝ませて頂いた。洞内は、電球1個で照らされ、暗く、ISO2000で、手ぶれしたため、ISO6400とISO12800で撮影した。天井の磨崖仏は、ISO12800の超高感度でもシャッター速度が1/20しかとれなかった。また、洞内が狭く、順番に並んで拝する為、数分の撮影になった。当初、撮影できるとは思っていなかった為、二順目に並び撮影した。

(撮影:平成22年4月18日)