浄土寺(じょうどじ)石造宝塔(納経塔)

 浄土寺(じょうどじ)納経塔(広島県尾道市東久保町20-28)

   塔内に法華経・浄土三部経・梵網経などを奉納したと記されている石造宝塔で、納経塔と呼ばれる。塔身に鎌倉時代中期 弘安元年(1278)の紀年銘がある。

浄土寺 石造宝塔(納経塔)(重要文化財、鎌倉時代中期 弘安元年 1278年、花崗岩、高さ 270Cm)

笠、軒裏に二段の垂木型を刻出する。
境内東端、越智式宝篋印塔の横に立つ浄土寺第一の石造遺品 首部、中央に帯状の高欄(勾欄)が外に出張っている。

軒口厚く、隅軒は穏やかに反る。

塔身正面(西面)、胎蔵界四仏の種子を刻む(ア:宝幢如来) 塔身北面、胎蔵界四仏の種子を刻む(アー:開敷華王)

塔身は、ゆるやかなふくらみを持ち、胎蔵界四仏の種子を直接四方に刻む。胎蔵界四仏の種子が刻まれているのは珍しい。尚、南面は摩耗が激しい。

塔身、刻銘の残存部

塔身部に刻銘があり、尾道の豪商・光阿弥陀仏(こうあみだぶつ)のため、子息の光阿吉近(こうあよしちか)が

「弘安元年(1278)戊刁(寅)十月十四日」に納経塔を建て、塔中に法華経・浄土三部経・梵網経などを奉納したと記す。

尚、末尾に「大工 形部安光」と貴重な石大工名を刻む。刻銘は、摩耗・風化が激しくほとんど読めない。

塔身背面(東面)、胎蔵界四仏の種子を刻む(アン:無量寿) 塔身南面、胎蔵界四仏の種子を刻む(アク:天鼓雷音)

塔身の胎蔵界四仏は、正面(西面)が「ア(宝幢如来、通常東面)」になっていて、移動または積替えが行われた際に180度 逆方向に設置されている。

基礎 正面(西面)

基礎上端は平面、側面は四面とも輪郭を巻き内に伸びやかな格狭間をつくる。

屋根上の相輪部は、下から 露盤・伏鉢・請花・宝珠と一石で彫成する。重厚で違和感はないが、当初のものか疑問視されている。

壇上積式基壇

地覆石(じふくいし)の上に束石を立て、その間に無地の羽目石をはめ、上に葛石(かづらいし)を置く本格的な基壇。

浄土寺 石造宝塔(納経塔)(重要文化財、鎌倉時代中期 弘安元年 1278年)

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浄土寺本堂(国宝、鎌倉時代 嘉暦二年 1327年、本瓦葺、桁行五間・梁間五間)

浄土寺は、推古天皇二十四年(616)に聖徳太子が開いたとされる中国地方きっての名刹。本尊は十一面観音。

嘉元四年(1306)に大和西大寺 叡尊の弟子定澄が中興した。それ以降の中世石造遺品は、西大寺流の影響があったと思われる。

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*JR 尾道駅前より おのみちバス市内本線東行きに乗車、「浄土寺下バス停」下車 すぐ。

(撮影:平成19年8月12日、平成24年9月23日)