行基寺(ぎょうきじ)七重石塔

 行基寺(ぎょうきじ)(岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1)

   行基埋葬の地に建てられたと伝わる七重石塔。建武・元弘(1330代)兵乱に焼け残ったと伝わる。

行基寺(ぎょうきじ) 七重石塔 (市指定文化財、推定:鎌倉時代後期~南北朝時代、砂岩、高さ 約400Cm)

もと、裏山の行基埋葬地と伝わる位置に建っていたが、本堂西側 一段高い現在地に移設された。石塔は七層で、初層軸部・基礎を欠く。

初層・二層屋根

各層屋根の上部に、やや高い上層の軸部をつくりだす。軒反は緩やかで、両端で強く反る。

相輪は、伏鉢がなく請花・九輪・請花・宝珠と続く。室町風の相輪は、後補と思われる。塔身・基礎はなく、砕いた石を重ね基壇とする。

 行基寺(ぎょうきじ)七重石塔(本堂前、境内)

行基寺(ぎょうきじ)七重石塔

境内の石垣上に置かれている七重石塔で、三・四層間と五・六層間の逓減が合わず、もと九層以上あったと思われる。七層目は、五輪塔の水輪様。

二層以上の軸部が極めて低いのが特徴で、相輪も五輪塔の残欠が利用されている。笠の形状から、市文の七重石塔より時代は下がるものと思われる。

 行基寺(ぎょうきじ)高須藩主歴代墓

行基寺(ぎょうきじ)高須藩主歴代墓 (県指定史跡)

尾張藩主 徳川光友の次男 松平義行が信州高取から高須に移封された元禄十三年(1700)三月、

旧蹟を再興し、行基寺と名付け松平家の菩提寺とした。歴代藩主 十三代のうち九人の墓が建てられている。

行基寺 本堂 (江戸時代後期 天保三年 1832年)(浄土宗)

 来迎寺(らいこうじ)石造宝塔                              石仏と石塔-目次!

行基寺(ぎょうきじ)三門 (江戸時代後期 文政三年 1820年)

寺伝によれば、天平十六年(744)大仏建立勧進の為、当地を行脚していた行基が

、大洪水で苦しむ人々を救済する為、行基寺(ぎょうきじ)を建立したと伝わる。口口

石造層塔紀年順  蓮徳寺(れんとくじ)十三重石塔(鎌倉後期~南北朝時代)  石造層塔-紀年順-目次

*養老鉄道 「美濃山崎駅」下車、北西方向へ徒歩 約37分。

(撮影:平成25年8月5日)