行基寺(ぎょうきじ)(岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1)
行基入定の地とされる塚の上に立つ板碑で、南北朝時代後期 永和三年(1377)の紀年銘がある。
行基寺 金剛界大日三尊 種子板碑(県指定文化財、南北朝時代後期 永和三年 1377年、砂岩、地上高 162Cm 幅 33Cm)
寺院西側 行基堂裏、山中の平坦地にある「行基塚」に立つ。身部は、上方に金剛界大日を中尊とする三尊種子、下方に紀年銘を刻む。 |
板碑 上部
頭部山形、二条線・身部の輪郭はない。
蓮座と月輪で荘厳された「金剛界大日三尊種子」。中尊が金剛界大日、脇侍が阿弥陀と不空成就という珍しい組合わせ。 |
三尊種子は、上方に大きく金剛界大日如来の種子「バン」、その下 向かって右に阿弥陀如来の種子「キリーク」、左に不空成就如来の種子「アク」を刻む。
金剛界大日如来の種子「バン」
主尊は、大きく蓮座上月輪内に刻まれている。
身部下方の刻銘 | 刻銘:「永和三年(1377)七月廿六日、願主、敬白」 |
刻銘は、中央に「永和三年(1377)七月廿六日」、向って右に「願主」、左に「敬白」と刻む。
南北朝時代後期 永和三年に造立されている。本板碑の傍らに自然石の副碑が立ち、由来が刻まれている。
脇侍の種子「アク」・「キリーク」
向かって右方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、左方に不空成就如来の種子「アク」を蓮華座上月輪内に薬研彫する。
(種子「アク」の上方に、空点らしきものが気になるが、「板碑の総合研究 地域編」(柏書房)
に掲載されている写真には、空点はなく、空点の形に苔が剥れたものと思われる。)口口・
板碑、向って左側面・背面 | 板碑、向って右側面・背面 |
板碑、両側面
背面は、仕上げをせず打割り面がそのまま残っている。
板碑の傍らに立つ副碑、板碑の由来が刻まれている。 | 副碑の銘文 |
副碑の銘文:「當山此所従往昔行基菩薩御入定、御墓ト申傳依之當所其他人々御、
山於菩提ノ称来早尤可尊敬、旹天平勝宝元、己丑、天(749)二月二日御入寂也」
(尚、天平勝宝元年は七月二日からで、二月二日は天平二十一年にあたる。)
行基菩薩 供養塔
板碑に向って右手に立つ五輪塔。正面の各輪に四門の梵字 発心門(東門)「キャ・カ・ラ・バ・ア」を刻む。
尚、通説では、行基は天平二十一年(749)二月二日に奈良市の喜光寺(菅原寺)で入寂し、往生院で火葬後、竹林寺(生駒市)に埋葬された。
*養老鉄道 「美濃山崎駅」下車、北西方向へ徒歩 約37分。
(撮影:平成25年8月5日)