長滝白山(ながたきはくさん)神社(岐阜県郡上市白鳥町長滝138)
三メートルを超える六角型石燈籠で、各部の装飾が豊富。鎌倉時代後期 正安四年(1302)の紀年銘がある。
長滝白山(ながたきはくさん)神社 石燈籠(重要文化財、鎌倉時代後期 正安四年 1302年、安山岩、高さ 305Cm)
六葉の請花の上に、円型座と円錐座を設け、上に宝珠を載せる。 | ||
拝殿の手前に立つ。この位置は、長滝寺大講堂の正面でもある。 | 火袋は、正・背面を火口、他の四面を円窓・六角窓とし彫刻を施す。 |
長滝白山神社は、全国に多々ある白山神社の中心的神社の一つで、白山信仰との関わりが深い。
笠
笠は、全体に高く、軒は緩やかに反る。蕨手(わらびて)が一本欠けているのが惜しまれる。
蕨手(わらびて)は、軒下から美しく立ち上がり、連続して笠の上面に続き上端で六角座をつくる。
火袋 東面
火袋は、各面を縦三区に分け、上区が二区横連子、下区が二区格狭間。中区は、正・背面を火口とする。
東面 中区は、上下二区に分け、上区は蓮弁文の円窓に縦連子が一面、丸窓に蓮唐草文様で先端の
蓮花上に阿弥陀と思われる坐像が配されている面が一面。下区は二区で異なる図案の蓮唐草を刻む。.
火袋 東南面、中区の上側
向って左側、蓮花上に阿弥陀と思われる坐像が刻まれている。
火袋 西面
西面 中区は、上下二区に分け、上区は六角窓に蓮唐草文様、下区は二区縦連子。
中 台
上端は一段を作り上に二十四葉の小さい複弁反花、側面は二区で各々に走獅子、下端は複弁の蓮弁を十二葉 刻出する。
竿は上・下端に肉付けの厚い突帯を巻き、竿の下方に比べ、上方がやや細くなる。中節は三重の節を持ち、中節の上に七行に亘る銘文を刻む。 |
竿(さお)上部
中節の上に美しい草書体で、七行に亘る銘文が刻まれている。銘文の「庭」は、神仏前の広場の意味。
刻銘全文:「奉施入、庭燈炉、一基、正安四年(1302)壬寅、七月日、願主伝燈、大法師覚海」
刻銘:「願主伝燈、大法師覚海」 | 刻銘:「正安四年(1302)、壬寅、七月日」 | 刻銘:「奉施入、庭燈炉、一基」 |
竿(さお)上部の銘文
基 礎
基礎上端は、弁面に目玉様の飾りをつけた複弁反花。竿受けの円座は、側面を十二葉の単弁反花と間弁、上面を
連珠文で飾る。基礎側面は六面とも二区で、各々格狭間をつくり、基壇は四枚の厚い切石を六角に組合わせて作る。
中尊寺蓮 (ちゅうそんじはす)
奥州平泉の中尊寺には、境内に白山神社が勧請され藤原三代 秀衡(ひでひら)も白山を信仰している。その関係か
、藤原氏の遺体とともに納められていた種子から育った中尊寺蓮が株分けされ、この地に贈られ開花したという。・・
白山長滝寺 大講堂
手前、正面に正安四年銘 石燈籠(重文)が立ち、神仏習合時代の姿をとどめている。
奈良時代中期 養老元年(717) 泰澄が白山中宮長滝寺として創建したとされ、明治の神仏分離以降 長滝白山神社と白山長滝寺に分離した。
平安時代前期 天長五年(828)法相宗から、天台宗に改宗。天長九年(832)白山三馬場の一つになり白山信仰の中心的寺院の一つとなった。
長滝白山神社拝殿(奥)と石燈籠覆屋(手前)
*長良川鉄道越美南線「白鳥長滝駅」下車、北西方向へ徒歩 約2分。
(撮影:平成25年8月4日)