大山祇(おおやまずみ)神社宝篋印塔 中央塔

 大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)(愛媛県今治市大三島町宮浦3327)

大山祇神社宝篋印塔 中央塔 (重要文化財、鎌倉時代後期、花崗岩、高さ 429Cm)

社伝によると 宝篋印塔は、三島水軍河野通信の孫の当たる一遍上人(時宗の開祖)が、大三島宮に参拝した折奉納したものとされている

一遍上人が大山祇神社を参詣したのは、正応元年(1288)12月16日、その翌年の正応二年(1289)8月23日に兵庫で没している。宝篋印塔が作られたのは、

東塔の刻銘から文保二年(1318)12月9日であるから約30年の開きがあり、参拝した時に奉納したものではありえない。一遍上人の没後10年の命日 正安元年

(1299)8月23日に完成した有名な一遍上人絵伝に、参詣の様子が記載されているため、後世の人がありがたく引用したのではないかと思う。・・・・・・・・・・・・・

笠は下二段、上六段、隅飾は別石で作られた三弧輪郭付で内は素地

相輪頂部 宝珠の下、請花の部分が反花とし変化をつけている
相輪、下から伏鉢・請花・九輪・請花(反花)・宝珠 相輪下部、伏鉢と単弁の請花

塔身は正面にのみ、金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫りしている

塔身下の請座(越智式)を除けば、通常の関西形式の宝篋印塔。写真右は、別石で作られた三弧輪郭付の隅飾

塔身と基礎の間に方形の請座を設けて越智式(おちしき:旧越智郡に多くある形式)となる

切石の上に繰形座を置き、その上に基礎を置く。基礎は上部が複弁の反花、側面は輪郭を巻き内に格狭間を作る

 大山祇(おおやまずみ)神社宝篋印塔 西塔                  石仏と石塔-目次!

大山祇神社拝殿(重要文化財、桃山時代、桁行七間 梁間四間、切妻造、桧皮葺)

宝篋印塔紀年順  大山祇(おおやまずみ)神社宝篋印塔 西塔(鎌倉時代後期)  宝篋印塔-紀年順-目次

*JR今治駅前・JR福山駅前から瀬戸内運輸バス しまなみライナー乗車、「大三島BSバス停」下車 。大三島BSバス停から宮浦港行きに乗車、「大山祇神社バス停」下車 すぐ

(撮影:平成20年12月18日)