(弘前市史No:弘前58)
中別所(なかべっしょ)石塔婆群・公卿塚(くげづか) [青森県弘前市中別所字葛野]
上半を欠失し、下半に銘文を残す石塔婆で、亡き母 十三回忌供養として鎌倉時代後期 延慶二年(1309)に造立された。
中別所(なかべっしょ)石塔婆(断碑)(鎌倉時代後期 延慶二年 1309年、安山岩、高さ 165Cm 幅 60Cm 厚さ 32Cm)
公卿塚の左端に立つ細長い板状の石塔婆で、上半を欠失する。残る下半に、願文と「延慶二年(1309)」の紀年銘を刻む。 |
「陸奥古碑集」(中村良之進 著、陸奥史談会事務所 発行)によれば、本石塔婆は「此碑は元附近の館跡より出でたりと。」とある。
石塔婆 上部
斜めに折れ、上半を欠失する。
刻銘全文 | 刻銘:「延慶、二年、四月一日、孝子等、敬志」 |
刻銘全文:「右迎亡悲母十三廻之忌石塔、口其起之残今古不忘之念成、口死不昏之媒而已
延慶、二年(1309)、四月一日、孝子ホ(等)、敬志」
延慶二年(1287)四月一日、子息たちが亡き母 十三廻忌供養として本石塔婆を造立した。
中別所(なかべっしょ)石塔婆群・公卿塚(くげづか) [青森県弘前市中別所字葛野]
延慶二年(1309)銘断碑の右横に立つ大型の石塔婆で、紀年銘はないが鎌倉時代後期の造立と思われる。
中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆(推定:鎌倉時代後期、安山岩、高さ 164.5Cm 幅 78Cm 厚さ 24Cm)
頭部と両側面を成形し、石面上部を研磨する。身部は、上方に金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。刻銘はない。 |
(弘前市史No:弘前60)
中別所(なかべっしょ)石塔婆群・公卿塚(くげづか) [青森県弘前市中別所字葛野]
金剛界大日種子「バン」を主尊とする。紀年銘はないが特長から、鎌倉時代後期の造立と思われる。
中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆(推定:鎌倉時代後期、安山岩、高さ 171Cm 幅 66Cm 厚さ 27Cm)
上記、大日種子石塔婆(No:弘前59)の右横に立つ。身部は、上方に金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。下方は、素面。 |
中別所正和二年銘 金剛界大日種子石塔婆. 石仏と石塔-目次!
中別所(なかべっしょ)石塔婆群 部分 (公卿塚)
向って左端から、上半決失の石塔婆(No:弘前58)、金剛界大日種子石塔婆(No:弘前59)、同じく金剛界大日種子石塔婆(No:弘前60)。
*JR 弘前駅前から弘南バス 弘前~船沢・三ツ森線、または弘前~弥生・新岡・葛原線に乗車、「折笠バス停」下車、北東方向へ約1.7Km。
(撮影:平成25年10月13日)