(弘前市史No:弘前62)
中別所(なかべっしょ)石塔婆群・公卿塚(くげづか) [青森県弘前市中別所字葛野]
青森県最大の石塔婆で、県内二番目に古い鎌倉時代 弘安十年(1287)の紀年銘がある。刻銘の「紀中納言」から「公卿塚」と呼ばれる。
中別所 金剛界大日種子石塔婆(鎌倉時代中期 弘安十年 1287年、安山岩、高さ 260Cm 幅 57Cm 厚さ 28Cm)
公卿塚に立つ。細長い板状の石面上方に金剛界大日如来の種子「バン」、下方に願文・紀年銘・造立者名を刻む。 |
中別所石塔婆群は、「公卿塚(くげづか)」に十四基、近接する「石仏(いしぼとけ)」に三十五基が立っている。公卿塚では四基に紀年銘がある。
石塔婆 上部
金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。
身部上方、金剛界大日如来の種子「バン」。 | 身部下方、願文・紀年銘・造立者名を刻む。 |
身部下方の刻銘:「右志者於現当為二世之追善石塔、三本立之以余薫普及法界衆生而已
、弘安十年(1287)丙亥、八月日 紀中納言五代末孫橘範綱敬白」
弘安十年(1287)八月、紀中納言 五代末孫 橘範綱が、現世の安穏と来世の善処を願って石塔三本を立て供養した。
尚、弘安十年の干支は丁亥で、刻銘は丙亥になっており、誤って刻まれたと思われる。
右志者於現当為 → | 二世之追善石塔 → | 三本立之以余薫 → | 普及法界衆生而已 |
刻銘(造立趣旨):「右志者於現当為二世之追善石塔、三本立之以余薫普及法界衆生而已」
刻銘:「弘安十年丙亥、八月日」 | 刻銘:「紀中納言五代末孫」 | 刻銘:「橘範綱敬白」 |
刻銘:「弘安十年(1287)丙亥、八月日 紀中納言五代末孫橘範綱敬白」
尚、橘範綱(たちばなののりつな)は、秋田県男鹿半島に地頭職を持っていた橘公成と関連がある人物という。
中別所(なかべっしょ)石塔婆群(公卿塚)
向って右端が、青森県内で一番高い本石塔婆(弘前市史No:弘前62)。
*JR 弘前駅前から弘南バス 弘前~船沢・三ツ森線、または弘前~弥生・新岡・葛原線に乗車、「折笠バス停」下車、北東方向へ約1.7Km。
(撮影:平成25年10月13日)