(弘前市史No:弘前90)
中別所(なかべっしょ)石塔婆群・石仏(いしぼとけ) [青森県弘前市中別所字葛野]
青森県を代表する石塔婆で、石仏(いしぼとけ)ブロックでは最古最大。高椙(たかすぎ)郷主 源光氏が亡き父「西円」の五七日(三十五日)忌に造立した。
中別所 金剛界大日種子石塔婆(重要美術品、鎌倉時代後期 正応元年 1288年、安山岩、高さ 173Cm 幅 67Cm)
石仏ブロックに立つ。地元産「兼平石(かねひらいし)」の石面、上方に金剛界大日種子「バン」、下方に造立趣旨を刻む。 |
中別所石塔婆群は、通称「石仏(いしぼとけ)」に三十五基、「公卿塚(くげづか)」に十四基が立っている。両所は近接し、上右写真左奥、木柵に囲まれた所が公卿塚。
石塔婆 頂部
頂部水平。石塔婆は石面を研磨し、主尊種子・銘文を刻む。
中別所石塔婆群のほとんどは、金剛界大日如来の種子「バン」を主尊としている。
身部上方、金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。 | 身部下方、四行で造立趣旨・紀年銘を刻む。 |
身部下方の刻銘:「右當三十五日忌辰石塔婆三本、立之志者奉為高椙故西圓、禅門聖霊也」
「正應元年(1288)戊子、七月廿三日 源光氏 敬白」
石塔婆 下部
四行で、上記の願文と紀年銘を刻んでいる。
正応元年(1288)七月二十三日、源光氏(みなもとのみつうじ)が、亡き父「西円禅門」の五七日(三十五日)忌に石塔婆三本を立て供養した。
尚、もと安藤氏の拠点 藤崎の護国寺に寄進された銅鐘(重要文化財、現:長勝寺 蔵)には、大檀那として「崇演(北条貞時の法名)」の名があり
、施銭檀那として「見阿弥陀仏」・「沙弥道暁」・「安倍季盛」 等十四人の中に「源光氏」の名が刻まれており、在郷の有力者であったことがわかる。
右當三十五日忌 → | 辰石塔婆三本 → | 立之志者奉 → | 為高椙故西圓 → | 禅門聖霊也 |
刻銘(造立趣旨):「右當三十五日忌辰石塔婆三本、立之志者奉為高椙故西圓、禅門聖霊也」
刻銘:「正應元年(1288)戊子、七月廿三日」 | 刻銘(造立者名):「源光氏 敬白」 |
刻銘 (紀年銘、造立者名):「正應元年(1288)戊子、七月廿三日 源光氏 敬白」
中別所 正応四年銘 金剛界大日種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
中別所(なかべっしょ)石塔婆群(石仏)
向って左端が、重要美術品 金剛界大日種子石塔婆(指定名:板石塔婆)。
*JR 弘前駅前から弘南バス 弘前~船沢・三ツ森線、または弘前~弥生・新岡・葛原線に乗車、「折笠バス停」下車、北東方向へ約1.7Km。
(撮影:平成25年10月13日)