(弘前市史No:弘前46 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
三十五日(五七日)忌の供養塔として造立された石塔婆で金剛界大日種子を主尊とする。紀年銘は、年号の部分が磨滅し不明。
国吉 金剛界大日種子石塔婆 (市指定文化財、紀年銘磨滅、安山岩、高さ 103.5Cm 幅 78Cm 厚さ 13Cm)
石塔婆群左列、右から三基目に立つ。三角型の石面、上方に金剛界大日種子「バン」、下方の枠線内に五行の銘文を刻む。 |
石塔婆下方の刻銘
刻銘:「右口口口口慈父、口三十五日己(忌)辰、口口口口口口口、口口平等利益矣、口口、二二(四)年十一月二十五日、孝子、敬白」
亡き父 三十五日(五七日)忌の追善供養塔として、本石塔婆が子息により造立された。
国吉石塔婆群、左側面の五基
大日種子石塔婆は、向って右から三基目。
(弘前市史No:弘前48 )、(現地No: 8 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
左側列、向って左端の石塔婆で、主尊種子・刻銘とも磨滅し不明。
国吉(くによし)石塔婆 (市指定文化財、紀年銘不明、安山岩、高さ 50Cm 幅 64.5Cm 厚さ 26Cm)
(弘前市史No:弘前49 )、(現地No: 9 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
右側列、向って左から四基目の石塔婆で、主尊種子・刻銘とも磨滅し不明。
国吉(くによし)石塔婆 (市指定文化財、紀年銘不明、安山岩、高さ 53Cm 幅 42.5Cm 厚さ 11Cm)
(弘前市史No:弘前50 )、(現地No: 10 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
右側列、向って左から三基目の石塔婆で、主尊種子・刻銘とも不明。
国吉(くによし)石塔婆 (市指定文化財、紀年銘不明、安山岩、高さ 87Cm 幅 98Cm 厚さ 20Cm)
(弘前市史No:弘前51 )、(現地No: 11 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
右側列、向って左から二基目の石塔婆で、主尊種子・刻銘とも不明。国吉(くによし)石塔婆 (市指定文化財、紀年銘不明、安山岩、高さ 69Cm 幅 63Cm 厚さ 20Cm)
(弘前市史No:弘前52 )、(現地No: 12 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
右側列、向って左端の石塔婆で、主尊種子・刻銘とも磨滅し不明。
国吉(くによし)石塔婆 (市指定文化財、紀年銘不明、安山岩、高さ 75Cm 幅 57Cm 厚さ 20Cm)
国吉石塔婆群、右側列の五基 (現地No: 9~12と未指定一基)
右側列の石塔婆は、全て石面が風化・磨滅し種子・刻銘は不明。(向かって左側四基が市指定文化財)。後に岩木山が見える。
国吉板碑(石塔婆)群 配置図 (現地説明板 部分)
国吉板碑群は、(1)~(12)の12基が市の文化財に指定されている。
(1)~(3)が正面、(4)~(8)が左側列、(9)~(12)が右側列。
国吉(くによし)板碑群
石塔婆は、岩木川が蛇行する阿弥陀ヶ淵付近の田の中に埋まっていたものを一ヶ所に集めたもので、近郷の小領主関係のものと考えられている。
東目谷地区と呼ばれるこの地域には、規模が小さいが数多くの中世城館跡が残っており、国吉板碑群の東側には古屋敷と呼ばれる中世城館跡があった。
*JR弘前駅前から弘南バス 弘前~大秋・川原線に乗車、「高野バス停」下車、南西方向へ 約800m。「弘前駅観光案内所」で、レンタサイクルを利用するのも便利。
(撮影:平成25年10月14日)