重福院(じゅうふくいん)宝篋印塔

 重福院(じゅうふくいん)宝篋印塔(河内の宝篋印塔)(静岡県下田市河内749)

  大型の関東型宝篋印塔で、南北朝時代 初年 建武元年(1334)の在銘。河内(こうち)の宝篋印塔とも呼ばれている。

重福院(じゅうふくいん)宝篋印塔 (県指定文化財、南北朝時代前期 建武元年 1334年、安山岩、高さ 271Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(南面、タラーク:宝生如来)
宝篋印塔は、入口の石段を登った境内左手に立っている。 塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(西面、キリーク:阿弥陀如来)

塔身は、輪郭を巻き、内に月輪を線刻、その中に金剛界四仏の種子を各面に刻んでいる。

段型は下二段、上四段で最上部は側面二区の露盤とする。上部の段型は各段の背が高く、やや繊細さに欠ける。

塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(北面、アク:不空成就)
塔身、金剛界四仏の種子を刻む。(東面、ウーン:阿閦如来) 大型宝篋印塔は、南北朝時代 初年 建武元年(1334)の在銘

本宝篋印塔は、もと「塔の平(とうのひら)」の山中にあったが、その後移転を繰り返し、昭和36年(1961)に当寺院に移された。

隅飾は二弧輪郭付で外傾し、背が低く横幅はやや広い。

相輪は、下から露盤・請花・九輪・請花・宝珠で、九輪は上部で欠損、二輪欠け七輪。上・下の請花は、単弁で間弁がついている。

基 礎

基礎上端は二段、側面は各面二区で三面に刻銘が入る。

基礎 正面(向って左区)の刻銘

刻銘:「施主妙恩、比丘尼覚圓、大檀那沙弥智道」

刻銘:「建武元年(1334)、大才甲戌、六月廿一日」 刻銘:「類以此一善報、上四恩及下方、民仍所修如件」

基礎、西面の向って右区に「建武元年(1334)、大才甲戌、六月、廿一日」、東面の右区に「類以此一善報、上四恩及下方、民仍所修如件」の刻銘がある。

台  座

上端は複弁反花、側面は四面とも二区で各々輪郭内に格狭間をつくる。

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重福院(じゅうふくいん)(曹洞宗)

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*伊豆急行 「蓮台寺駅」下車、北方向へ徒歩 約10分。

(撮影:平成25年12月17日)