赤城神社(あかぎじんじゃ)観応二年銘 宝塔

 赤城神社(あかぎじんじゃ)(群馬県伊勢崎市宮前町1582)

赤城神社石造宝塔(県指定文化財、南北朝時代前期 観応二年 1351年、安山岩、高さ 205Cm)

境内西北の古碑殿内、中央に宝塔二基が立っている 相輪は、九輪が極端に短く貧弱で、全体のバランスに欠ける

笠は、他の部分に比べ大きく、上端に露盤をつくる。軒口はやや厚く、両端で斜め内に切る

塔身は、下部がすぼまり、頂部に一段の首部をつくる 塔身、首部

基礎、正面

基礎は上下二段からなり、下段の正面と両側面の三面に銘文を刻む

正面の銘文:「夫以塔婆者衆生元来之色像、諸仏常住之道場也、是以多宝涌現証明者、是真実釈迦出世顕説

皆成仏道、実是一大事因縁哉」と筆を起し、書写の法華経を石塔の宝室に安んじ、一結諸衆の逆修に備えるという願文を刻み、

「観応二年(1351)十一月日」と記す。(川勝政太郎 著、「日本石造美術辞典」、東京堂出版)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

基礎、向かって左側面

左側面は、共行人数として十人の和尚名と導師 権律師妙位、石大工 実妙維那真光の名を刻む

右側面は、諸檀施主として合計二八人の俗名・法名が刻まれている

赤城神社 古碑殿

赤城神社の境内西北にプレハブ造の古碑殿が設けられ、中央の宝塔二基と左の石幢が県指定文化財

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赤城神社 拝殿

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*JR・東武伊勢崎駅下車、東南東方向へ徒歩15分。

(撮影:平成22年4月8日)