黒山(くろやま)石仏・石塔群(滋賀県伊香郡西浅井町黒山)
黒山 石塔群(鎌倉時代〜室町時代、花崗岩)
層塔三基、左側:五重石塔、二層目軸部に貫通孔がある | 中央:五重石塔、初層軸部後補、基礎側面に三茎蓮文様 |
塩津街道がまだなかった頃、北陸へ抜ける唯一の道であった黒山は、大いに栄え、200戸以上の民家と40余りの寺院があったと伝える。
石塔は、その当時 寺院に祀られていたものと考えられている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五輪塔(鎌倉時代、花崗岩、高さ、176Cm)
五輪塔は、四面各輪に四門の梵字を刻んでいる。大きく、美しい五輪塔(向かって右端)
右側層塔の初層軸部、舟形を彫りくぼめ顕教四仏を刻む(阿弥陀如来) | ||
層塔三基の右側:石造層塔、相輪部に五輪塔 風・空輪を載せる | 右側層塔の初層軸部、舟形を彫りくぼめ顕教四仏を刻む(釈迦如来) |
黒山 宝塔残欠 三基(鎌倉時代、花崗岩)
左側宝塔残欠(鎌倉時代)、五輪塔の火・風・空輪を載せる | 右側宝塔残欠(鎌倉時代)、五輪塔の風・空輪を載せる |
三基の宝塔の内、両端の宝塔は、軸部に多宝・釈迦如来二仏並座像を刻む
宝塔(中央)(鎌倉時代、花崗岩)、正面軸部に仏坐像を刻む
石仏群北側の寄せ集めの五輪塔、妙に存在感がある | 石仏群北側、道路に面した五輪塔、梵字が刻まれている |
黒山石仏群
賎ケ岳の合戦(天正十一年 1583年)で敗れた柴田勝家配下の家族が、身内の戦死者を弔うため石仏を奉ったという
*JR湖西線「永原駅」下車、西方向へ徒歩 約20分
(撮影:平成21年4月27日)