摂取院(せっしゅいん)宝篋印塔

 摂取院(せっしゅいん)(滋賀県蒲生郡日野町内池323)

  蒲生氏郷の曽祖父に当たる蒲生高郷の菩提寺として建てられた浄土宗の寺院

摂取院宝篋印塔(鎌倉時代後期 元応二年 1320年、花崗岩、基礎から笠までの高さ 96.2Cm)

塔身、金剛界四仏の種子を大きく薬研彫りする(キリーク:阿弥陀如来)
宝篋印塔は、本堂前の墓地中央に立っている。笠と基壇は後補 塔身、金剛界四仏の種子を大きく薬研彫りする(アク:不空成就)

笠の段形は、下二段、上六段、隅飾は三弧輪郭付で内は無地

塔身、金剛界四仏の種子を大きく薬研彫りする(タラーク:宝生如来)
基礎の一面は、檀上積式の内に格狭間を入れる(格狭間内は無地) 鎌倉時代後期の宝篋印塔は、やや塔身が大きいが端正で美しい

塔身、金剛界四仏の種子を薬研彫りする。「ウーン(阿閦)」の向かって右側に「元応二(1320)三月サ一日」の刻銘がある

相輪は後補で小宝篋印塔の笠と他の相輪をつけている。後補を除く高さは、96.2Cmで揃っていれば総高 約150Cmの五尺塔とみられている

基礎は壇上積式で、頂部は二段。側面三面は、内に格狭間内宝瓶三茎蓮を刻んでいる。束の幅が広いのが特徴

(参考文献:「近江の石造美術 3」 田岡香逸 著、民族文化研究会)

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蒲生高郷(享禄三年 1530年没)の墓

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*近江鉄道「日野駅」下車、東方向へ徒歩 5分

(撮影:平成20年11月13日)