立善寺(りゅうぜんじ)宝篋印塔

 立善寺(りゅうぜんじ)(滋賀県東近江市合戸町189)

  当地の西田庄太夫(休庵)が豊臣秀頼の死を悼み、寛永十一年(1634)に開いた日蓮宗の寺院。宝篋印塔の基礎に珍しい五茎蓮の文様がある

立善寺宝篋印塔(町指定文化財、鎌倉時代後期 文保二年 1318年、花崗岩、高さ 134.4Cm)

塔身正面、後に内面を削り輪郭を作って妙法の文字を大きく刻む
宝篋印塔は、本堂向かって右奥の墓地中央に立っている 塔身左面、現地説明によれば釈迦如来の種子「バク」を刻む

塔身は欠失し、層塔の塔身で代用している。現地説明の趣旨では、顕教四仏の種子が刻まれていた。後 薬師の面を削り「妙法」の文字を刻んだ

笠の段形は、下二段、上五段、隅飾は二弧輪郭付で内に梵字を刻む

塔身背面、現地説明によれば阿弥陀の種子「キリーク」を刻む 塔身右面、現地説明によれば弥勒の種子「ユ」を刻む

塔身の梵字は磨耗が激しく肉眼では読めないが、「ユ(弥勒)」は違うような気がする

基礎は壇上積式で上端に複弁の反花、右面・背面の側面は格狭間内に宝瓶五茎蓮を刻む

右面 左右の束には、「文保二年(1318)戌午」「十月 日 孝子 敬白の紀年名を刻む

五茎蓮の文様は極めて珍しく、当サイトでもこの一基のみで、中央の蕾は低く直立し、左右の四茎は弧を描き、四葉とも外向きに葉をつける

相輪は、下から伏鉢・単弁の請花・九輪・単弁の請花・宝珠。鎌倉時代後期の文保二年(1318年)の作品

基礎は壇上積式で、頂部は複弁の反花。正面・左面の側面には、格狭間内に開蓮華の文様を刻んでいる

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立  善  寺

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*近江鉄道「桜川駅」下車、西南方向へ 約1.8Km

(撮影:平成21年1月29日)