長念寺(ちょうねんじ)(埼玉県飯能市白子260)
釈迦三尊種子板碑の左右に立つ板碑群で、向って右側の板碑群。
釈迦種子を刻んだ板碑で、南北朝時代中期 貞治三年(1364)の紀年銘がある。
長念寺 中村家墓地 釈迦一尊種子板碑(南北朝時代中期 貞治三年 1364年、緑泥片岩、高さ 83Cm 下幅 32Cm)
中村家墓地立つ板碑群中、後列向って右端の板碑。身部は上方を欠失し、蓮華座上月輪内に釈迦種子「バク」が残り、下方に銘文を刻む。
板碑 上部
頭部 山形を欠失する。蓮華座上月輪内に釈迦如来の種子「バク」の下半が残る。身部は一重線の輪郭を巻く。
釈迦如来の種子「バク」の下、身部下方に銘文を刻む。 | 刻銘:「貞治甲辰(1364)十一月廿六日誌」 |
身部下方の刻銘は、上方に四行「卒都婆開眼」の偈、下方 向って右から「奉三寶弟子道圓、建立塔婆一基為、
口口口口善因者也、貞治甲辰(1364)十一月廿六日誌」と刻む。年号の数字はないが、干支から貞治三年とわかる。
卒塔婆開眼の偈(げ)
偈(げ):「一見卒塔婆(いっけんそとば)、永離三悪道(ようりさんなくどう)、何况造立者(がきょうぞうりゅうしゃ)、必生安楽国(ひっしょうあんらくこく)」
[ 一たび卒塔婆(塔)をみれば、永く三悪道(餓鬼・畜生・地獄)を離れられる。何ぞいわんや塔を造立するものは、必ず安楽国に生まれることができる]
長念寺(ちょうねんじ)(埼玉県飯能市白子260)
中村家墓地板碑群の中では、最も古い鎌倉時代後期 嘉元三年(1305)の紀年銘がある。
長念寺(ちょうねんじ)中村家墓地 阿弥陀三尊種子板碑(鎌倉時代後期 嘉元三年 1305年、緑泥片岩、高さ 78Cm 下幅 26Cm)
中村家墓地立つ板碑群中、後列向って右から二基目の板碑。身部は、上方に阿弥陀三尊種子、下方に「嘉元三年(1305)」の紀年銘を刻む。
板碑 頭部
頭部 山形、下に二段の切込、額部と身部の輪郭はない。
身部中央は、「阿弥陀三尊種子」が刻まれている。 | 刻銘:「嘉元三年(1305)八月廿八日」 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
長念寺(ちょうねんじ)(埼玉県飯能市白子260)
長念寺中村家墓地 阿弥陀三尊種子板碑(南北朝時代前期 暦応四年 1341年、緑泥片岩、高さ 32Cm 下幅 27Cm)
中村家墓地立つ板碑群中、前列中央碑の右隣の板碑。身部は上半を欠失し、阿弥陀三尊種子の脇侍(観音・勢至)が残る。中央に紀年銘を刻む。
刻銘:「暦應四年(1341)、辛巳、八月七日」 | 種子は、向って右が観音の種子「サ」、左が勢至の種子「サク」 |
長念寺(ちょうねんじ)(埼玉県飯能市白子260)
観音菩薩の種子「サ」を身部に刻んだ珍しい板碑で、南北朝時代前期 観応二年(1351)の紀年銘がある。
長念寺中村家墓地 観音種子板碑(南北朝時代前期 観応二年 1351年、緑泥片岩、高さ 54Cm 下幅 23Cm)
中村家墓地立つ板碑群中、前列向って右から二基目の板碑。身部は、上方を欠失し蓮華座上に観音種子「サ」が残り、下方に紀年銘を刻む。
身部下方の刻銘:「観応二年(1351)、辛卯、四月廿九日、玄一口、敬白」
長念寺 中村家墓地 板碑群、向って右側
阿弥陀三尊種子板碑と釈迦一尊板碑(断碑)を中心に五基の板碑が立っている。
西光寺(さいこうじ)弘長元年銘 阿弥陀三尊種子板碑 石仏と石塔-目次!
長念寺 中村家墓地 釈迦三尊種子板碑(中央)(南北朝時代中期 延文三年 1358年、高さ 146Cm)
中村家墓地には、計 九基の板碑が立っている。
*西武池袋線「武蔵横手駅」下車、西方向へ徒歩 約12分。
(撮影:平成25年3月5日)