一乗谷遺跡・英林塚(えいりんづか)宝篋印塔

 英林塚(えいりんづか)宝篋印塔(福井県福井市城戸ノ内町)

  英林塚(えいりんづか)は、一乗谷初代 朝倉孝景(敏景)の墓と伝えられる。法名から英林孝景と呼ばれることも多い。文明十三年(1481)に没した。

英林塚(えいりんづか)宝篋印塔(史跡、室町時代中期 文明十三年 1481年頃、凝灰岩)

塔身、蓮華座上月輪内に胎蔵界四仏の種子を刻む(アク:天鼓雷音)
石塔は、居館群後方の山腹に建つ英林塚鞘堂内に安置されている 塔身、蓮華座上月輪内に胎蔵界四仏の種子を刻む(ア:宝幢)

塔身は越前地方独特の様式を踏襲し、蓮華座は薄肉に美しく陽刻され、月輪は周縁に小蓮弁を巡らしている

笠の段形は、下二段、上五段で最上部に四注状の傾斜をつける。隅飾(すみかざり)は

上部を破損しているが二弧だったと思われ、輪郭つきで内は無地、やや外傾する。・・・・

塔身、蓮華座上月輪の内に胎蔵界四仏の種子を刻む(アー:開敷華王)
塔身、蓮華座上月輪の内に胎蔵界四仏の種子を刻む(アン:無量寿) 基礎下は、側面に大きな蓮弁を刻んだ基壇を設ける

基礎正面

基礎上端は二段(二段目が塔身下部に巻き込まれ修理)、側面は上部が残り左右に竪連子、下部が補修され銘文を刻む

相輪部、下から伏鉢、請花、三輪しかない九輪、請花、宝珠で、この相輪は後補。石塔を囲む玉垣は明治31年(1898)に設けられた

  朝倉義景(よしかげ)墓所(一乗谷 五代当主)

朝倉義景(よしかげ) 墓所(江戸時代)

朝倉義景墓所 宝篋印塔(史跡、江戸時代)

朝倉義景の墓所には、基礎の左右に没年「天正元年(1573)八月廿日」の銘を刻んでいる

 一乗谷遺跡・盛源寺(せいげんじ)の石造遺物(1)              石仏と石塔-目次!

一乗谷 朝倉氏遺跡

一乗谷の谷が最も狭くなる南北の地点に土塁を築き、その間 約2Kmの谷あいに、朝倉氏は自身の館を始めとし、武家屋敷・寺院・町屋等を密集して建てた。

城下町は、文明三年(1471)から天正元年(1573)の100余年にわたって栄えたが、天正元年八月に織田信長との戦いに敗れ義景は自害し、織田軍は一乗谷を焼討にした。

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*JR福井駅前駅より京福バス 淨教寺・鹿俣(かなまた)行きに乗車、「朝倉館バス停」下車。JR越美線「一乗谷駅」下車 徒歩。

(撮影:平成21年11月25日)