長谷寺(ちょうこくじ)金剛界大日種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   石巻市 高徳院の文応元年(1260)銘石塔婆に次いで、宮城県で二番目に古い石塔婆。鎌倉時代中期 文永二年(1265)の在銘。

長谷寺 金剛界大日種子石塔婆(鎌倉朝時代中期 文永二年 1265年、粘板岩、高さ 130Cm 幅 44Cm 厚さ 10Cm)

門前の参道脇に立つ石塔婆群の三列目、全体に摩耗・風化が進んでいる。身部は、上方に金剛界大日種子、下方は紀年銘のみを刻む。

石巻市の石塔婆は、「石巻の歴史第八巻」によると掲載の613基のうち53%の330基が改刻再利用されたもので本石塔婆もそれにあたる。

身部 上方

金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。

刻銘:「文永二年(1265)八月廿日」

本石塔婆も改刻再利用されており、当然のことながら元の石塔婆は、文永二年(1265)を遡る。

長谷寺(ちょうこくじ)金剛界大日種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   金剛界大日種子「バーンク」を主尊とする石塔婆で、鎌倉時代中期 弘安四年(1281)の紀年銘がある。

長谷寺 金剛界大日種子石塔婆(鎌倉朝時代中期 弘安四年 1281年、粘板岩、高さ 180Cm 幅 60Cm 厚さ 5Cm)

参道横の石塔婆群、前から三列目に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子「バーンク」、下方は紀年銘のみを刻む。

金剛界大日如来の種子「バーンク」を刻む。 本石塔婆も改刻され、再利用されたもの。

刻銘:「弘安二二(四)(1281)、大才、辛巳、潤七月日、敬白」

長谷寺(ちょうこくじ)阿弥陀種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする石塔婆で、鎌倉時代中期 応永八年(1285)の紀年銘がある。

長谷寺 阿弥陀種子石塔婆(鎌倉朝時代中期 弘安八年 1285年、粘板岩、高さ 120Cm 幅 45Cm 厚さ 15Cm)

石塔婆群、前から三列目に立つ。上方は阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。

石塔婆 下部、刻銘(全文) 刻銘:「弘安八年(1285)八月六日」

刻銘は、中央に「弘安八年(1285)八月六日」

向って右に「夫以幽母摩口口口」、左に「口仏口生不口立此石塔者也」と刻む。

長谷寺(ちょうこくじ)参道脇石塔婆群

参道脇と境内に計 七十五基の石塔婆がある、このうち参道脇に立つ石塔婆群は長谷寺周辺から集まってきたものといわれている。

長谷寺石塔婆群の年代は文永二年(1265)を上限とし、下限は天文二年(1533)で約二百七十年に亘っている。

※ 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 一覧

 長谷寺(ちょうこくじ)釈迦種子石塔婆                       石仏と石塔-目次!

長谷寺(ちょうこくじ)(曹洞宗)

大同三年(808)天台宗の修行場して創建され、その後一時廃寺、天正年間(1573~92)に曹洞宗の禅林として再建された。

 板碑(いたび)

*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。

(撮影:平成26年4月13日)