多福院 山門脇応永九年銘種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

   妙嶺禅尼の逆修供養碑として、室町時代前期 応永九年(1402)に造立、天蓋や偈頌(げじゅ)で荘厳されている。

多福院 種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永九年 1402年、粘板岩、高さ 112Cm 幅 31Cm 厚さ 11.5Cm)

同じ種子(ボーン)で三十三回忌に造立された応永八年(1401)銘の石塔婆が、山門脇にある。

石塔婆は、上方に種子「ボーン」、その下に「般若心経秘鍵」に出る偈(げ)、下方に「七分全得」の文言がある願文と紀年銘を刻む。

「七分全得」という言葉は、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。死後の

追善は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。

死後に修される初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日の法事をふまえて福の100%を七分としたと思われる。

碑面上方、主尊種子「ボーン」

天蓋の下に種子「ボーン」を薬研彫する。「石巻の歴史第八巻」は、本種子を「馬頭観音」としている。

種子は、「ボ」(准胝観音)に修業点(アー)で「ボー」(馬頭観音)、さらに空点(アン)がつき「ボーン」になると思われる。

般若心経秘鍵に出る偈(げ)

偈(げ):「真言不思議(しんごんふしぎ)、観誦無明除(かんじゅむみょうじょ)、一字含千里(いちじがんせんり)、即身証法如(そくしんしょうほうにょ)

[ 真言は不思議なり、観誦すれば無明を除き、一字に千里を含み、この身ながらに真理を証す。 ]

石塔婆下方、刻銘(全文) 刻銘:應永九年(1402)、壬午、十月

刻銘は、中央に「右逆修菩口趣者 應永九(1402)、壬午十月口、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「妙嶺禅尼為七分全得現受快楽、移化善処乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

[ 妙嶺禅尼の逆修供養碑として、室町時代前期 応永九年(1402)に造立された。]

多福院 山門脇応永十三年銘石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  本阿禅門の百ヶ日忌に造立された石塔婆で、上部を欠損する。室町時代前期 応永十三年(1406)の在銘。

多福院(たふくいん)石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永十三年 1406年、粘板岩、高さ 83Cm 幅 51Cm)

上部を欠損し、種子が不明。刻銘も偈(げ)の部分を剥離、下方の願文と紀年銘を残す。

偈(げ)(出典未詳)

偈(げ):若我誓願大悲(にゃくがせいがんだいひちゅう)、一人不成二世願(いちにんふじょうにせがん)

         我堕虚妄罪過中(がだこもうざいかちゅう)、不還本覚捨大(ふげんほんかくしゃだいひ)

[ 若し我が誓願大悲(苦しみを救う仏の誓い)の中、一人でも二世願(現世安穏と後生善処の願)をかなえられなければ、 

                       我れ虚妄罪過(嘘偽りの罪)の中に堕ちて、本覚に還らず、大悲も捨てん。]

本偈は、「宝物集に、如意輪経に云うとして引用されているが、如意輪経には出ていない」(「石仏偈頌辞典」:加藤政久 編著、国書刊行会)という。

石塔婆下方、刻銘(全文)

下方中央に「右志者 應永十三(1406)、丙戌十二月廿二日、敬白の紀年銘、

その両側に「相当過去本阿禅門一百ヶ日忌景」、「乃至法界衆生平等利益故也」と刻んでいる。

[ 本阿禅門 百ヶ日忌供養の為、室町時代前期 応永十三年(1406)十二月二十二日に造立された。]

刻銘:應永十三年(1406)、丙戌、十二月廿二日、敬白 刻銘:本阿禅門一百ヶ日忌

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

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多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)