(弘前市史No:岩木 9 )
兼平天満宮(かねひらてんまんぐう)(青森県弘前市大字兼平字山下)
亡き母 十三回忌追善供養として鎌倉時代後期 永仁四年(1296)八月に造立された石塔婆で、上半の種子部を欠失する。
兼平天満宮 石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁四年 1296年、安山岩、高さ 80Cm 幅 67Cm 厚さ 16.5Cm)
天満宮社殿の向って左側に立つ。石面は、上方の種子部を欠失、下方の願文と「永仁四年(1296)八月 日」の紀年銘が残る。 |
石塔婆 上方
種子の下方が、わずかに残っている。
下方の刻銘、全文 | 刻銘:「永仁四年(1296)、丙申、八月」 |
刻銘:「右意趣者当悲母聖霊一、十三ヶ年忌辰(日)成仏得道、乃至法界平等利益故也」、「永仁四年(1296)、丙申、八月 日 則為 敬白」
[ 永仁四年(1296)八月 子息の則為が、亡き母 十三回忌追善供養として本石塔婆を造立した。]
(弘前市史No:岩木 4 )
兼平天満宮(かねひらてんまんぐう)(青森県弘前市大字兼平字山下)
阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする石塔婆で、下部の刻銘は磨滅し紀年銘は不明。
兼平天満宮 阿弥陀種子石塔婆 (市指定文化財、紀年銘なし、安山岩、高さ 70Cm 幅 44Cm 厚さ 18Cm)
天満宮参道の中程、左手側に立っている。石面上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方に四行の銘文を刻むが磨滅し不明。 |
石塔婆 上方
阿弥陀如来の種子「キリーク」。
石塔婆 下方
四行の銘文を刻むが、磨滅・風化が激しく、不明。
兼平天満宮(かねひらてんまんぐう)
上記、永仁四年(1296)銘石塔婆(断碑)は、社殿の向って左手に立っている。
*JR弘前駅前から弘南バス 弘前~大秋・川原線に乗車、「如来瀬バス停」下車、北西方向へ 約1Km。「弘前駅観光案内所」で、レンタサイクルを利用するのも便利。
(撮影:平成25年10月14日)